自己紹介と人生
自己紹介に何を書けばいいのかわからない。
てきと〜ぱ〜りなぃで書くわね。
名前:あめちゃ(雨月)
年齢:17歳せぶんちーん高3
性別:不定性(時により、心の性別が変わるよ。今は女の子)
性的趣向:レズよりのバイセクシャル
持病:アトピー性皮膚炎、慢性鼻炎
ちょっとした人生記録
「0歳〜2歳→覚えてるわけなかろ?」
「3歳〜6歳→多分青空見るだけで幸せだった。能天気に生きてた。人生の最盛期。今考えると親から虐待受けてたなぁと…」
「小学1年生→最初すごい楽しみだった。学校生活に夢を見てた。後に壊される夢を。
人間関係が構築されていくにつれて悪口の怖さを知る。ワイは空気の読めない能天気なガキだったから「そんなこと言ったらだめだよ!言われて嬉しくないでしょ!!」って言ってた。ただのあほである。後、私は陰口を叩かれ始める。家庭環境はなんとも言えない。多分叩かれたり締め出されてたと思ふ…
ただ、青空が好きで死にたいなんて思わなくて、毎日が楽しかった」
「小学2年生→無視、陰口、バイ菌扱い、勉強出来ない鈍臭い。正義感が強く、空気が読めないために嫌われ始める。ワイ能天気、嫌われてることには気付くが、気にしてなかったテラワロスwww
家庭環境は1年と変わらず。」
「小学3年生→一軍の女の子と仲良くなり、平和。皆勤賞。弟が入学。弟が色々優秀で家に居場所が無くなる。家庭環境は1.2年のものに加え、姉弟間差別の始まり。ニコニコ動画にハマる。主にボカロ。その後春休みにまふまふと出会う。」
「小学4年生→最悪の年。3年の時仲良かった一軍女子がいじめグループに寝返り、女子からは悪口や足を引っ掛けさせて転ばせる、上履きの裏に画鋲を刺し貫通させ、あたかも踏んでしまっただけみたいな陰湿ないじめ、男子は脛蹴ったりバイ菌扱いしたり悪口言ったり…教師すらもゴミだった。相談しても知らぬ存ぜぬを突き通す。大人は頼りにならない、自己保身にはしる。信じるのを辞めた。大人が嫌いになった。
ここで人生で初めて死を考える。
家庭環境は放り出されることはなくなったけど、母親の仕事がブラック過ぎて相談できず、弟贔屓だった為、必然的に縋るのは父になる(機嫌いい日と悪い日の差がやばい)」
「小学5年生→強い友達が出来たおかげでだいぶ軽くなったが悪口もあまり気にしなくなる。たまに嫌がらせはあった。家庭環境は大分改善された…のか?諦めてたが正しいかも。」
「小学6年生→夏休みいじめっ子グループ襲来、悪口を一方的に言われ殴られ蹴られ死にたかった。弟がすごく心配してくれて、心が軽くなった。でも学校へ行くのが怖かった。ちなみにその時になぜいじめるのか聞いたら、「鈍臭い」「空気読めない」「ぶりっ子」「なんかうざい(!?)」らしいです。
ワロタww
そしてこの年に理由忘れたけど、親と大喧嘩しました。その時に昔から寝ないし癇癪起こしまくってた事から、親に「障害持ってるよ。お前。キチガイだよ。」って言われて傷つきました。
後に正解だったことが判明したのである。ワロタ」
「中学1年生→引越したので全く知らない人ばかりの中学生活。誰とも仲良くなれなかった。部活強制だったことが救い。そこでは友達ができた。だが、陰口を叩かれ始める。またか、と思った。ここでリスカを始めた。
どうでもいい話だけど、合唱コンクールの時、ナチュラルにオーバードーズをした。生理痛の薬と頭痛薬をことある事に飲むという愚行をした。ワロタ。ODなんて言葉も行為も知らない無知な私はほんとに心配されたい厨二病だったわけだ。
そして10月、教師に暴言&性的虐待を受け、その後数週間は頑張って学校へ行っていたが、ある日の登校中に学校とは正反対へ逃亡。しばらく彷徨い母に見つかる。
行きたくない理由や今までのこと、リストカットのことまで全部話し、不登校になり心療内科へとお世話になった。
ここの心療内科はゴミだった。真面目に。
首吊り自殺を図ろうとした、その瞬間にYouTubeの通知。まふまふの命に嫌われているの歌ってみただった。
比喩なしで命を救われた瞬間だった。」
「中学2年生→不登校続行中。リスカは母がヒス起こすから、なるべくバレないようにやった。ひきこもり、廃人のような暮らしをしていた。
12月に父が倒れた。そのショックで初めてODらしいODをした。ブロン。なにか救われた気がした。すぐに依存した。援交してまで金を稼いでブロンに溶かしてた。お年玉でギターと安いマイクを買った。夢がはじまった。」
「中学3年生→最初の頃にブロンODバレた。怒られたし泣かれた。やめようと思った。やめられなかった。金パブからルル、レタス、コンタ、ウットに手を出し始めた。コンタックはフラフラしすぎててバレた。ウットは普段全然寝ないのにめっちゃ寝てたせいでバレた。そのまま病院活性炭飲んで生食ぶち込まれて一日入院。しっかり怒られた。父にも泣かれた。やめようと思った。やめられなかった。
ブログを開設し、ODしまくり、援交しては薬に溶かしてた。中学校の卒業式前日に金パブを大量に飲み、吐きまくって、フラフラしながら卒業式に行った。地獄だった。」
「高校1年生→4月1日に援交で警察にドナドナされた。スタートから地獄である。
ハイプロンにハマる。ハイプロン飲みながら学校行ってキチガイと化す。もはやブロンとハイプロン飲まなきゃ行けなかった。友達怖いし先生馬鹿だし。素面じゃ無理っすわ。
もちろん親にバレた。そんなに辛いなら行かなくていいよ。と言われ、2年に上がる前に中退。」
「高二の年→ブロンの糖衣錠が気持ち悪くて飲めなくなり、それを機にODをやめた。が、たまにマイスリー3錠飲んでた。もろちんバレた。怒られた。マイスリー処方されなくなった。畜生!
資格とるために終盤は勉強漬けだった。」
「今現在→ハイプロン復活!ブロンの代替はコフジス!!懲りないゴミ!!!介護職フリーター!!!!ほぼ働けてない!!!
人生詰み!!」
〜終劇〜
ちなみに祖父母は典型的な毒親だった。
そりゃあ負の連鎖は起こるなと。
愛情をあまり知らないから、愛を送るのは下手だったし、私も愛情を受け取るのが下手になった。
少し親の生い立ちを話すわ。
「母親
母親の母親、祖母はずっと母の兄の自慢ばかり、母親の父親、祖父はあまり家庭を顧みない人だった。
家に親があまり帰らず、兄は友達と遊びに行ってしまうため、家に1人だった。食事は作ってもらっていたみたいだが、ほとんど愛情を受けていなかったらしい」
「父親
父親の父親、祖父は九州男児長男。ちやほやされて生きてきて、碌に挫折も経験せずおじいちゃんになりました。バブルの時から社長をやっていて、退職してからも豪遊していたため、父に集ってきた。
マジで53。兄贔屓だったし、祖父は酒癖が悪く、すぐに父に当たっていたらしい。だから父は高校でグレた。そりゃあ情緒不安定になるわな」
こんな人生でつ。
読みずらかったらごめんなさい!!
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